新店舗開業への道003-思い立つまでの道すがら回想録02

2013年9月11日 07:09

2013年9月11日・文章※武山よしてつ

回想録01で母方の爺様の住んでた家に2005年に移住して来たと述べました。
この家は、爺様が念願としてたのですが結局は私の母が建てました。
第二次ベビーブームの子供らが習い事に通う年代となり、バブル期というころで、
ピアノ教室の経営が順調だったからだそうです。

今現在、「陶芸体験ほけきょ庵」と「サンキャッチャー体験ぷちそれいゆ」
のある敷地内の一軒家がそうです。

私が物心ついた時に爺様に抱いた印象は、
「一日中家の設計図を書いてるか作曲してる人」でした。
4歳くらいの事と記憶してます。

私が産まれる前より定年退職してた爺様は一日中家にいるのですが。
何かやってるなと思うと、伊豆の家の設計図作りか、作曲でした。

そして、幼い私をつかまえて、嬉々として語るのですがその内容はというと。
「この玄関はな、」「この中庭をどう思う?」か「この曲の旋律どう思う?」
「モーツアルトのこの旋律は特に色濃くバッハの影響を・・」
「よしてつ、芸術とはな・・・・」などです(笑)

今思い出してもオカシく思うのですが日柄年中その調子ですから
他の家族は煙たがり近づきません。

他にも、「芸術と科学を愛するシュヴァイッアー博士のようになれ」
「音楽をやるなら指揮者だ」「よしてつ哲学もいいけどこれからは心理学だ」などなど。

私はそういった話を目を輝かして聞いてましたので、
話し相手にうってつけだったのでしょう。

この爺様は東京藝術大学の作曲科を卒業し、大学の教授を生業とする傍ら、
数多くの校歌や唱歌を作曲し、第一回、第二回のNHK合唱コンクール優勝グループも指導し
主には、音楽指導分野、音楽教育分野で実績を積み上げるのですが、結局のところ
その最大の功績は、1978年(昭和53年)6月・7月に、芹洋子がNHK「みんなのうた」で歌った
「坊がつる讃歌」に結実し、大輪の花を咲かせます。
この曲は同年大ヒットしゴールドディスクも獲得したのですが、
作曲者不明の曰くつきとあってゴシップ面でも話題を呼びました。

棒がつる賛歌

父と母が早々に離婚し、母親はピアノ教室の経営に忙しく
爺様と婆様が実質上の育ての親だった事と、爺ちゃんを誇らしく思う私は強烈な爺ちゃん子ばあちゃん子でした。
ですので、幼稚園の授業で行う「初めて書く手紙」は、この爺様に宛てた物で、
手紙の内容は、「おじいちゃんはやくいづにべそをたててください」でした。

「べそ」とは別荘の事です。

実際に家を建てる事になるのはその後6年を経た私が10歳の時でした。
建てる前年に、婆様が亡くなったのが契機となっており、

爺様いわく「婆様が生きている内に建てて一緒に暮らしたかった」と、
のんびりペースで事を進めてた事を後悔したのでしょう。
そして恐らく、「自分だって何時死ぬかわからない」との思いもあったのでしょう。

家を建てるに当たってもう一つの重要事項、ばあ様の墓をどこにする。
を解消すべく爺様は私を連れ立って墓探しの旅に伊豆を訪れます。

「海の見える丘がいいんだ」と海の見えそうなところに建つ寺をかたっぱしから当たります。
そしてこの年にある一本の刀を見せられます。代々伝わる刀だと言う話です。

そしてまだ10歳の私をつかまえて、「よしてつは武山家の後継者だ」
「この刀を受け継ぐ覚悟はあるか」と問いただしてきます。

従兄弟関係を見渡すと確かに、男子で武山とつく者は、出戻りの母の子の
私一人と言う事実に気がつきます。

内心何この展開?と思いつつも、その意味を推し量り「はい」と答えました。
友人からよく言われる私の「取っ付き難さ」は明治生まれの爺様から色濃く影響を受けた
「古風」そのものなのでしょう。

※妹と爺さんとわたし・・1982年、辺りには民家も少なく森の中の一軒家でした
伊豆の別荘


爺様との二人旅の甲斐もあり、お墓とする寺も見つかり家が建ちました。
母や私や妹、いとこ達、皆がこの家の完成を歓迎し、
その後は、一族皆でこの家を利用するようになりました。

それ以前からも家族旅行の定番は伊豆旅行で、毎年の様に遊びにきてました。
土地はすでに昭和30年代に購入しており、爺様婆様は余程伊豆が気にいってたのでしょう。
家族旅行というと那須高原か伊豆高原と言った具合でほぼ毎年のように遊びに来てました。

伊豆高原駅の高原口にあった伊豆急の貸し別荘コテージ(今はありません)に泊まり
駅前の長屋で食材を買い込み、赤いきつねを年越しそばにしてテレビを見た大晦日。

ここが別荘を建てる土地だぞと、見学に訪れたとき、1メートル間隔で
潰れた蛙の死骸や蛇の抜け殻が落ちている野性味あふれる道路に目を丸くした思い出。

熱川の温泉旅館に泊まり、初めて食べた蟹で蕁麻疹が出たけど
翌日見た水平線よりいずる初日に感動した元旦。

従兄弟のおじさんにつれられリフトを使わず泣きながら登った大室山と
その後に見た景色の素晴らしさ(今現在登山は禁止されてます)

・伊豆グランパル公園、今は無くなったシンボル地球儀の前にて
伊豆ぐらんぱる公園

世界のカブトムシの標本に驚き、地球は本当に丸いんだと実感した
水平線が丸く見えるを売りにしてたシャボテン公園の展望台(今は無くなったみたいです)

13歳の時に自律神経失調症に悩み施した温泉治療。

遊び盛りの私、埼玉県のベッドタウン、平凡な団地に生まれ育ったのもあって、
伊豆は自然一杯の天国のような場所でした。

カブトムシやクワガタが沢山取れるし、海ではサザエやあわびが取れ
自然の中で力いっぱい遊びました。

そんな夏休み、冬休みと過ごすうちに「将来ここに住みたいな」と心の片隅で漠然とながら思いました。

その後も年に数度は伊豆高原を訪れるようになるのですが。
東京で音楽活動に夢中のときにも、フィギア造形師となった後にもその想いは強くなるばかりでした。

・小学校6年生の時、仲良しの同級生を連れ立って伊豆旅行
爪木崎

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